なぜカメラ機材や撮影ノウハウの話ばかりになってしまうのか
カメラで写真や動画を撮影するのって楽しいですよね。
自分は、カメラを触るようになってからそこまで長くないんだけど、別のカルチャーの世界からカメラの世界に入って感じたことがあります。(元々は音楽やファッションにどっぷり使っていた人間)
それは、「撮った写真や動画の話よりも、機材やノウハウの話ばっかりしているな」ということ。
もちろん、自分もモノオタク気質なので機材の話も好きなのですが、それにしても機材の話がカメラ界隈は多すぎるなって感じています。撮った作品の話をしている人を僕はあまり見たことがありません。(そもそもカメラ関係の知人が少ないからってのもあるけど)
でも、本質とは少し距離を置いた「道具」にフォーカスしてしまう傾向ってのは、カメラの世界だけでもなかったりするんですよね。
例えば、音楽の世界であれば、「あの曲のあそこのアレンジかっこいいよね」なんて音楽自体の話もするのですが、楽器をやっていたりすると、楽器そのものにハマっていく方も少なくありません。
ギター、アンプにエフェクター、弦、ストラップ、ドラマーであれば各パーツにスティックなどなど、拘りたくなってきちゃうんですよ。
ファッションで言えば、本質は洋服を含めた自己表現やスタイリング(コーディネート)だと思うんだけど、ジャケットやブルゾン、デニムなどアイテム単体に興味がいきがちなんだよね。
なんだか、アイテムそのものにハマるのがいけないみたいな書き方ですが、僕自身もモノオタク故にそんな楽しみ方だって大いにありだと思います。
カメラにしたって、色々なブランドやタイプがあり、レンズも沼レベルに多種多様です。極端な話、大して撮影しなくったって楽しめるくらいの力がモノにはあると感じますから。
次は、どんな機材が出るんだろう、次はどんなスペックが来るんだろうってのもワクワクしますよね。そして、アイテムにハマる方がいるからこそ、カメラ業界や楽器業界、ファッション業界が成り立っているとも言えるのかなと。
ただ、モノオタク信仰が過ぎるゆえの負の側面もあるのかな
これは僕の持論というか想像に過ぎませんので、軽くイチ意見として聞いてください。
日本は、モノオタク信仰が強い故に「カルチャーそのもの」が広がっていきにくい傾向があるのかなとも感じています。
例えば、カメラのスペックは日本は誇るべきレベルにあるかもしれないけど、写真家や映像作家が市民権を得ているかというと全然知られていません。それに、それで生計を立てられている人も多くはないでしょう。
写真というコンテンツそのものを見ても、例えば家に写真を飾るなんてカルチャーも日本はほぼ普及していないと思うのです、世界に誇るカメラメーカーが何社もあるのにも関わらず。
これは一例ですが、写真を家に飾ることで心が豊かになるという発信を続け、「写真をお金を払って買う」というカルチャーが生まれて大きくなっていけば、もう少し写真家の市民権も広がっていくと思うのです。
でも、僕らカメラユーザーやカメラメーカーが、写真や映像の楽しさを日本全体に伝えることを忘れてしまってきたから今の状況があると僕は推測します。
やれ次はこのスペックだ、やれこのレンズの描写がどうのって、それはそれで僕らのようなオタク層は最高に楽しいと思いますが、ライトな層にはあまり興味のないことです。
もちろん、プロやマニアの方の貴重な意見やフィードバックも大事ですが、日本はそちらを大事にし過ぎて、本質的な写真や映像の楽しさ(撮ったり飾ったりすることで心が豊かになるなど)の伝達を忘れてしまっているのでないかと。
そう、撮影する楽しさなんかは、アップル(iphone)やDJI(ドローン)、ゴープロなどに完全に持っていかれちゃいましたよね。(オール海外勢、日本大丈夫か…)
さて、これから日本のカメラ業界や、カメラユーザーはどの方角へ進んでいくのか。
もちろん、今まで歩んできた道が正解か間違いかは人それぞれだと思います。
ただ、僕個人はモノオタクだけど、(前述した)写真を家に飾るカルチャーなんかが日本にもっと広まってくれたら素敵だよなーなんて考えるこの頃です。
写真作家。元映像製作者、ベースプレイヤー、メンズファッションスタイリストとしての経歴も持つ。現在、写真作家として一作目の写真集を製作中。