
「良い写真や動画」とはどんなものか。
個人的には、「それらをみて心が動かされるかどうか」だと思っています。
では、心が動かない写真や動画に価値がないかというと、そんなことはないかなと。
究極的には自己満足の世界ですし、そういった意味では自分が満足できるものが撮影できればそれでいいとも感じます。
だって、僕が「これはいい写真が撮れたなー!」と感じても、妻に見せるとそうでもなかったり(汗)、その逆も然りだから。
物の見方は人それぞれですから、人によって評価が変わるのは自然なこと。だから、それに振り回され過ぎるのももったいないなあと思うのです。
と、当たり障りのなさそうなことを言ってみましたが、本音なので仕方ありません(笑)
感動する写真や動画を撮影するために僕が心がけていること

こんな風に題を打つと、感動しない写真や動画はダメなのかと感じる方もいるかもしれませんが、そうも思っていません。
特に何も考えずに撮影するのも楽しいですから、それもアリです。
それはさておき、人の心を打つ写真や動画を撮るには、自分の「好き」や「コンセプトやスタンス」を表明することが必要なのかなと感じています。
例えば、写真を通して何か伝えたいことがあるとか。
撮影したものから「この人はコレが好きなんだなー」ということが滲み出ていたり。
言わば、人生のテーマのようなものが、創作物(この場合は写真や動画)から感じられるかどうかが、今の時代は大切だなーって。
今の時代は、創作物が非常に早いスピードで消費されている時代だと僕は解釈しています。
誰かが美しい写真を撮ってオンラインでシェアすると、瞬く間に広がる。
同じような場所で同じ雰囲気で、同じようなレタッチで撮影する人が増える。
ネット上に同じような写真が溢れる。
同じような写真が、膨大な量になって埋もれていく。

ファッションなんかでも同じなんだけど、おしゃれなコーディネートやアイテムがあっても、みんなが真似をし始めてそれが市場に溢れると、相対的に価値は低くなります。
「おしゃれだな」という感情は、「人と何かが違う」という条件のもと生まれるからです。
皆と一緒であれば、均一化して見えますから、「この人、なんか違うなあ」とはなりませんからね。
写真や動画も同様で、同じような作風ばかりになれば、人の目に止まりにくくなる。
これは、どの分野でも仕方のないことです。
答えはカメラや写真の外にあるのかもしれない

素敵な写真や動画の定義とは人それぞれですが、僕はカメラや写真のこと以外の場所にヒントや気づきがあるんじゃないかって考えています。
自分の好きなものは何なのか。
どういったことを大事にしているのか。
どんな場所、どんなモノに興味があるのか。
などなど。
カメラってのは、自分の価値観や考えを映し出すツール(道具)に過ぎないので、普段どういったものを見て、どう感じているのかが大事なのかなあと。(とはいえ、僕は機材も大好きですが笑)
自分が浴びてきた情報やモノ、それがもととなって写真がアウトプットされると思う。
もちろん、時には写真や動画をとにかく量をこなして撮りまくるってのも大事です。そこから体得できる自分だけの作風などもあるから。
一方で、カメラを自宅に置いといて色々なものを感じ取りにいくという、ある種のインプット行為も欠かせないのかもって。
僕自身、カメラも写真も動画も好きだけど、あまりにマニアックになり過ぎないで、カメラ以外のことにも広く目を向けていたいと思っています。
その方が、結果的に自分の創作物に深みが出てくるのかなーって。
そんな感じです(笑)

写真作家。元映像製作者、ベースプレイヤー、メンズファッションスタイリストとしての経歴も持つ。現在、写真作家として一作目の写真集を製作中。