以前、妻と二人で京都を訪れた時に撮った写真。
個人的に気に入っている一枚です。
今や、スマホで誰もが写真を撮る時代。
普段の生活から、旅行やイベントなど特別な時まで、現代人は年がら年中撮影しています。
そして、SNSにアップして「いいね」をもらって喜ぶ。
最近は、SNSそのものに疲れてしまったり、きれいな写真が多すぎて飽和状態な気もしますが、写真を撮って誰かに見てもらうという一連の行動が、今を生きる僕たちには根付いている気がします。
ただの「記録」も尊いことだと思う
ここ数年は、「考え抜かれた画角で美しく編集された写真」が、特にインスタグラムを中心に多くアップされています。
どうやって撮ったんだろうというものや、この編集はすごいなあと、とても真似できないようなものも少なくありません。
ネットの発達によりノウハウが出回るようになったことや、デジタルカメラの圧倒的な進化によって、きれいな写真を誰もが撮れるようになったことも影響しているかと思います。
自分自身も、きれいな写真が取れたらうれしいし、もちろん誰かにそれを褒められたらさらにうれしいです。
ただ、「他人からの承認」から離れた「ただの記録」としての写真撮影も、改めて考えてみると美しく価値のあるものだと思います。
例えば今回の写真だと、
「あの日の京都は、めちゃめちゃ暑かったな」なんてことを思い出したり。
あの時はこんな悩みを抱えていたな、なんてことを思い出したり。
あそこのお店でそば定食を食べたら、苦手なシソご飯が出てきて「ガーン」ってなったねとか(笑)
画角や編集とは別の世界で、あの日の貴重な記憶を思い出させてくれる大事なツールだなと。
写真を撮影する意味、写真って自分にとっての何なのかを再考するこの頃です。
SNSにアップしてたくさんのいいねをもらうこともうれしいと言えばうれしい。
写真コンテストで何かの賞に入選するのもうれしい。
他者から承認されることを求めるってのも、僕ら人間の本能的な欲求だと思います。
ただ、昨今は、というより日本は、その傾向がちょいと強すぎるというか、もう少し自分軸での写真評価も大事にしたらいいんじゃないかって感じることもある。
写真を趣味で楽しむにしても、写真でお金をいただく(要はビジネス)にしても、これからの時代は、自分なりの世界観を大事にしていくことが大切なのかなあと、個人的には思います。
仕事で動画制作をしている筆者ですが、最近はもっぱら動画よりも写真撮影にハマっているのでした。
写真も奥深いね。
写真作家。元映像製作者、ベースプレイヤー、メンズファッションスタイリストとしての経歴も持つ。現在、写真作家として一作目の写真集を製作中。